著者・出版社情報
著者:牧野 百恵
出版社:中央公論新社
『ジェンダー格差-実証経済学は何を語るか』は、開発経済学、人口経済学、家族の経済学を専門とする研究者・牧野百恵氏による中公新書の一冊です。牧野氏は東京大学法学部を卒業後、タフツ大学フレッチャースクールで国際関係修士課程を修了、ワシントン大学で経済学の博士号(Ph.D.)を取得した経歴を持ちます。現在は独立行政法人日本貿易振興機構アジア経済研究所(IDE-JETRO)の開発研究センター主任研究員として活躍し、2009年から2021年にかけては、ニューヨークのポピュレーション・カウンシルで客員研究員も務めてきました。
牧野氏の研究は主に南アジア地域を対象としており、児童婚、結婚持参金(ダウリー)、男児選好、男女教育格差、労働市場におけるジェンダー格差など、開発経済学における重要なテーマに取り組んでいます。家計調査やフィールド実験といったミクロ経済学の手法を用いて、因果関係の解明や政策効果の検証を行う実践的なアプローチが特徴です。本書以外にも『コロナ禍の途上国と世界の変容』(共著、2021年)などの著作を持ち、国際的な学術ジャーナルにも多数の論文を発表しています。
出版元の中央公論新社は1885年創業の老舗出版社で、「中公新書」シリーズは学術的な内容を一般読者向けに分かりやすく伝える良質な教養書として知られています。本書はシリーズ2768巻目として2023年に刊行され、ジェンダー問題に関する議論が活発化する中、感情論や印象論に陥りがちなこのテーマに対して、データに基づいた冷静な分析を提供する貴重な一冊として注目を集めています。
概要
『ジェンダー格差-実証経済学は何を語るか』は、今日の社会で大きな関心事となっているジェンダー格差について、実証経済学の手法を用いて客観的かつ科学的に分析した一冊です。本書の最大の特徴は、感情論や印象論に陥りがちなジェンダー問題の議論に、データと厳密な因果推論という「証拠」を持ち込むことで、より建設的な理解と対話の基盤を提供している点にあります。
牧野氏は本書を通じて、ジェンダー格差の実態を様々な側面から明らかにしています。賃金格差、雇用機会、昇進、教育、家事・育児分担、結婚、出産、政治参加など、私たちの生活のあらゆる局面に存在するジェンダーによる差異を、国内外の研究データを駆使して丁寧に解き明かしていきます。
特に印象的なのは、世界各国との比較の中で浮かび上がる日本社会の特異性です。例えば、本書では日本における男女間の家事・育児時間の差が他の先進国と比較して非常に大きいことが指摘されています。アメリカでは男性に対する女性の家事労働時間が1.5倍であるのに対し、日本では5倍にも達するという衝撃的なデータも示されています。さらに男性同士で比較しても、アメリカの男性は日本の男性より3倍長く家事や育児に関わっているという事実は、日本社会の構造的な問題を浮き彫りにしています。
本書が提示する最も重要な知見の一つは、ジェンダー格差の多くが生物学的な性差ではなく、社会や文化によって形成されたものだという点です。例えば、男女の数学能力の差についての研究では、「女の子は数学が苦手」といった思い込みが強い社会ほど実際に男女間の成績差が大きくなり、逆にそうした思い込みが少ない社会では差がほとんど見られないことが示されています。こうした「社会的な刷り込み」がいかに個人の可能性を制限し、結果として社会全体のパフォーマンスを下げているかを、本書は様々な研究成果を通して明らかにしています。
また、ジェンダー格差の解消に向けた政策や取り組みの効果についても、実証研究に基づいた評価が提示されています。クォータ制(女性枠)の導入効果や、育児休業制度の意図せぬ帰結、柔軟な働き方がもたらす可能性など、具体的な施策の成果と課題が客観的に分析されています。
本書の結論として牧野氏は、ジェンダー格差解消のためには法律や制度の整備だけでなく、「男性はこうあるべき、女性はこうあるべき」といった人々の根深い思い込みや社会規範を変えていくことが不可欠だと強調しています。規範の変化には時間がかかるものの、多くの人がこの問題意識を共有し行動することで、社会は確実に変わっていくという希望も示されています。
活用法
自己のバイアスを認識し、修正するために
本書を読む最大の意義の一つは、自分自身の無意識のバイアスに気づくきっかけを得られることです。ジェンダーに関する「当たり前」と思い込んでいた考え方の多くが、実は科学的根拠がなく、社会的・文化的に作られたものであることを本書は示しています。
例えば、「女性は数学や理系科目が苦手」という思い込みは、実証研究によって否定されています。本書によれば、男女の数学能力に関する性差は、そうした思い込みが強い社会ほど大きくなり、逆にジェンダー平等の進んだ国々では差がほとんど見られないか、むしろ女性の方が優れている場合もあるのです。こうした知見を踏まえて、自分自身の中にある「○○だから□□は得意/苦手だろう」という思い込みを点検してみることが大切です。
具体的な活用方法として、日常生活の中で自分が発する言葉や態度を意識的に観察する習慣をつけてみましょう。例えば、子どもに対して「女の子なんだから静かにしなさい」「男の子なんだから泣かないの」といった言葉をかけていないか、あるいは男女で異なる期待や制限を設けていないかを振り返ってみるのです。本書の知見に照らせば、このような何気ない言動が子どもの可能性を無意識のうちに限定してしまう恐れがあります。
また、職場での会議や打ち合わせの場で、女性の発言を男性の発言より軽視していないか、あるいは「女性らしい」仕事や役割を無意識に割り当てていないかといった点も、自己点検の対象となります。本書で紹介されている研究によれば、同じ内容の発言でも、話し手の性別によって周囲の評価が異なるケースが数多く報告されています。
さらに深い自己分析のためには、「暗黙の連想テスト(IAT)」のようなツールを活用して、自分自身の無意識のバイアスを客観的に測定してみることも有効です。オンラインで無料で受けられるこうしたテストは、私たちが意識していない潜在的な偏見を明らかにしてくれます。本書の知識と組み合わせることで、自分自身のバイアスに気づき、それを修正するための具体的な行動計画を立てることができるでしょう。
教育現場での実践
教師や保護者など、子どもの教育に関わる立場にある人々にとって、本書の知見は特に貴重です。牧野氏が紹介している実証研究によれば、教育者の持つジェンダーバイアスが子どもの学習成果や将来の進路選択に大きな影響を与えることが明らかになっています。
例えば、教師自身が「女子は数学が苦手」という固定観念を持っていると、無意識のうちに女子生徒に対する期待値を下げ、結果的に女子生徒の数学の成績に悪影響を及ぼす可能性があります。このような「ステレオタイプ脅威」(特定の集団に対する否定的なステレオタイプが、当該集団のパフォーマンスに悪影響を与える現象)は、多くの実験研究によって確認されています。
教育現場での具体的な実践として、まず教材や教え方におけるジェンダーバイアスを点検することが挙げられます。教科書や副教材の中に、固定的な性別役割(例:料理をする母親、仕事をする父親)が描かれていないか、また教室での発言機会や質問の投げかけ方に男女差がないかなどを意識的に確認しましょう。
さらに、理系科目の授業では、女性科学者のロールモデルを積極的に紹介することも効果的です。本書で紹介されている研究によれば、女性の理系ロールモデルに接することで、女子生徒の理系科目への関心や自信が高まることが示されています。マリー・キュリーやローザリンド・フランクリンといった著名な女性科学者の業績を紹介するだけでなく、現代の女性研究者をゲストスピーカーとして招くなどの取り組みも検討してみましょう。
保護者としては、家庭での何気ない会話や子どもへの期待の伝え方を見直すことが重要です。「女の子だから」「男の子だから」という理由で子どもの興味や可能性を制限せず、性別に関わらず多様な経験や挑戦を奨励する姿勢が、子どもの潜在能力を最大限に引き出すことにつながります。例えば、おもちゃや遊びの選択において性別によるステレオタイプを押し付けない、家事や修理といった家庭での活動に男女の区別なく子どもを参加させるといった実践が考えられます。
教育機関の管理職や政策立案者にとっては、学校や教育システム全体のジェンダー平等を促進するための制度設計が課題となります。本書で紹介されている研究成果を参考に、例えば理系クラブ活動への女子生徒の参加を促進するための特別プログラムの導入や、教職員に対するジェンダーバイアス研修の実施などが検討できるでしょう。また、学校の意思決定機関(委員会など)における女性の代表性を確保することも、教育現場でのジェンダー平等を促進する上で重要です。
職場でのジェンダー格差解消に向けて
職場におけるジェンダー格差の解消は、個人の努力だけでなく組織的な取り組みが必要な課題です。本書で紹介されている実証研究の知見を踏まえ、企業や組織が実践できる具体的な施策を考えてみましょう。
まず、採用プロセスにおけるバイアスの排除から始めることが重要です。研究によれば、同一の履歴書でも、名前が男性の場合と女性の場合で評価が異なるという結果が報告されています。こうしたバイアスを軽減するためには、履歴書の性別欄を削除する、複数の評価者による審査を行う、構造化された面接フォーマットを使用するなどの工夫が効果的です。
昇進や評価においても同様のバイアスが存在する可能性があります。本書では、業績評価において女性は同等の成果を上げていても男性より低く評価される傾向や、リーダーシップにおいて同じ行動でも女性の場合は「攻撃的」と見なされがちな現象が紹介されています。これらのバイアスを軽減するためには、明確で客観的な評価基準の設定、評価者に対するバイアス研修の実施、昇進・評価プロセスの透明性確保などが有効です。
また、柔軟な働き方の導入も重要な施策です。本書によれば、柔軟な働き方ができる職種においては、出産が男女賃金格差の要因にならなかったという研究結果があります。リモートワーク、フレックスタイム、ジョブシェアリングなどの柔軟な勤務形態を導入することで、育児や介護などの家庭責任を担う従業員(特に女性)のキャリア継続を支援することができます。
育児休業制度については、その設計と運用に注意が必要です。本書で紹介されている研究によれば、育児休暇制度が女性のキャリア形成に不利に働くケースもあることが指摘されています。例えば、男性が短期間の「形だけの育休」を取得する一方、女性が長期間のキャリア中断を余儀なくされる状況では、結果的に男女間の格差が拡大してしまいます。男性の育休取得を実質的に促進する制度設計(例:男性の育休取得率を人事評価の指標に含める、育休中の業務引継ぎ体制を整備するなど)が重要となります。
さらに、管理職・リーダー育成における「パイプライン問題」にも目を向ける必要があります。女性管理職比率が低い原因の一つに、管理職候補となる中堅層での女性比率の低さがあります。本書の知見を踏まえると、女性のキャリア開発を支援するためのメンタリングプログラム、リーダーシップ研修などを早期から提供することで、将来の女性リーダー候補を育成していくことが重要です。
経営層や人事担当者としては、組織文化そのものの変革にも取り組む必要があります。「長時間労働=貢献度が高い」「常に職場にいて対面での業務を優先する」といった価値観が支配的な組織では、家庭責任を担うことの多い女性が不利になりがちです。成果や生産性を重視し、働き方の多様性を尊重する文化への転換が、ジェンダー格差解消の基盤となるでしょう。
具体的なアクションとしては、まず組織内のジェンダー格差の現状をデータで把握することから始めるとよいでしょう。男女別の採用率、昇進率、退職率、賃金水準などを定量的に分析し、どこに問題があるのかを特定します。次に、明確な目標と指標を設定し、定期的にその進捗を測定・公表することで、組織全体の意識改革と継続的な改善を促すことができます。
家庭内での役割分担の見直し
本書が明らかにしている通り、日本における男女間の家事・育児時間の格差は際立って大きく、女性のキャリア形成における大きな障壁となっています。この状況を改善するためには、家庭内での役割分担を見直すための具体的な取り組みが必要です。
まず重要なのは、家庭内労働の「見える化」です。家事や育児にどれだけの時間がかかっているのか、誰がどの作業を担当しているのかを客観的に記録し、可視化することで、現状の不均衡に気づくきっかけになります。例えば、1週間の家事・育児タイムシートを作成し、夫婦でそれぞれの活動時間を記録してみるといった方法が考えられます。本書で紹介されているデータによれば、多くの男性は自分の家事・育児貢献度を過大評価している傾向があり、このような「見える化」によって現実を認識することが第一歩となります。
次に、家庭内での役割分担を明確に設定し、定期的に見直す機会を持つことが大切です。「得意なことをそれぞれが担当する」という考え方は一見合理的に思えますが、実際には「女性が得意」とされる家事が圧倒的に多く、不公平な分担につながりがちです。むしろ、苦手な分野こそ積極的に担当し、スキルを高めていくという姿勢が、長期的には公平な分担につながります。
また、家事や育児の「クオリティ基準」について夫婦間で話し合うことも重要です。例えば、掃除の仕方や子どもの世話の方法について、女性側が完璧を求めすぎると、男性側が参加しにくくなる「マミートラック」と呼ばれる現象が生じることがあります。お互いが納得できる「十分な水準」を設定し、そこに達していれば細かなやり方の違いは許容するという柔軟さも必要でしょう。
さらに、家庭内の意思決定プロセスについても見直す価値があります。本書では、男女間の経済力の差が家庭内での交渉力にも影響を与え、結果として家事・育児分担の不平等につながる可能性が示唆されています。重要な決断(住居、教育、大きな出費など)を下す際のプロセスを夫婦で確認し、対等なパートナーシップを築くための工夫を考えましょう。
日常的な実践としては、「デフォルト担当者」の概念を見直すことも効果的です。例えば、子どもの学校行事の連絡や体調不良時の対応などを自動的に母親が担当するという暗黙の了解があることが多いですが、これらの「デフォルト設定」を意識的に変更することで、より公平な分担に近づくことができます。
また、外部リソースの活用も検討すべき選択肢です。共働き家庭においては、家事代行サービス、保育サービス、食事の宅配サービスなどを適切に利用することで、夫婦ともに家庭とキャリアのバランスを取りやすくなります。こうしたサービスの利用を「贅沢」や「手抜き」と見なすのではなく、家族全体のウェルビーイングを高めるための合理的な選択と捉える意識改革も必要でしょう。
社会変革のための政策提言と市民活動
本書の知見を社会全体のジェンダー格差解消に活かすためには、個人レベルの取り組みだけでなく、政策立案者や市民活動家としての視点も重要です。実証経済学の研究成果を踏まえた効果的な政策や活動を考えてみましょう。
政策立案の観点からは、クォータ制(女性枠)の導入が一つの選択肢となります。本書で紹介されている研究によれば、政治分野でのクォータ制導入は、必ずしも「能力の低い女性が選ばれる」という結果にはならず、むしろ「能力の低い男性が排除される」効果があるケースも報告されています。日本の政治分野や企業の役員レベルでの女性比率は国際的に見ても極めて低い状況にあり、クォータ制のような積極的な措置を検討する価値は十分にあるでしょう。
育児支援政策についても、本書の知見を活かした再設計が求められます。単に育児休業期間を延長するだけでは、女性のみが長期休暇を取得し、結果的にキャリア格差が拡大するリスクがあります。むしろ、男性の育児参加を実質的に促進するための制度設計(例:パパクォータ制、育休取得率の公表義務化など)や、質の高い保育サービスの拡充を通じて、育児と仕事の両立をサポートする政策が効果的でしょう。
また、職場での柔軟な働き方を促進するための法整備も重要です。本書によれば、テレワークやフレックスタイムといった柔軟な勤務形態が可能な職種では、出産によるキャリアへの悪影響が軽減されることが示されています。リモートワーク環境の整備、オフィス改革への補助金、柔軟な働き方を導入した企業への税制優遇など、政策的なインセンティブを設計することで、社会全体の働き方改革を加速させることができるでしょう。
教育政策の面では、学校教育におけるジェンダーバイアスの排除が課題となります。教科書や教材の内容審査におけるジェンダー視点の導入、教員養成課程でのジェンダー平等教育の必修化、理系分野での女子学生支援プログラムの拡充などが考えられます。本書で紹介されている通り、「女子は数学が苦手」といった社会的思い込みが実際の学力差を生み出している可能性があることを踏まえると、教育現場でのステレオタイプ解消は極めて重要です。
市民活動家としては、社会規範や思い込みの変革に向けたキャンペーンやコミュニティ活動が考えられます。例えば、地域でのジェンダー平等ワークショップの開催、男性の育児参加を促進するためのパパコミュニティの形成、メディアにおけるジェンダーステレオタイプの監視と改善要求といった活動が、社会意識の変革に貢献するでしょう。本書の実証研究の知見を分かりやすく伝えるための啓発活動は、感情的になりがちなジェンダー議論に科学的視点をもたらす貴重な貢献となります。
地域コミュニティのリーダーとしては、ロールモデルの可視化に取り組むことも効果的です。例えば、地域の女性リーダーを招いた講演会の開催、多様なキャリアパスを歩む男女のパネルディスカッション、性別役割にとらわれない活躍をしている人々の事例集の作成など、具体的なロールモデルを提示することで、特に若い世代の可能性を広げる手助けとなるでしょう。
さらに、男性の参画を促すための取り組みも重要です。本書で示されているように、ジェンダー格差の解消は女性だけの問題ではなく、社会全体の課題です。男性を含めたアライ(支援者)の育成、男性向けのジェンダー平等セミナー、父親の育児参加を支援するプログラムなど、男性が当事者意識を持って参画できる場づくりが求められています。
所感
本書を読み進める中で、最も印象に残ったのは、私たちが「自然」「当然」と思い込んでいるジェンダー差の多くが、実は社会的・文化的に構築されたものであるという事実です。特に数学能力における男女差が、ジェンダー平等の進んだ社会では消失するという研究結果は衝撃的でした。これは単に「男女は平等であるべき」という理念的な主張ではなく、データと厳密な実証分析に基づいた科学的知見であり、その説得力には目を見張るものがあります。
また、日本の家事・育児分担における極端な不均衡の実態も、国際比較のデータを通して改めて認識させられました。男性の家事・育児参加時間がアメリカの男性の3分の1に過ぎないという事実は、私たち日本社会の「当たり前」が、グローバルな視点から見ればいかに特殊なものであるかを示しています。こうした客観的なデータを突きつけられると、「日本の伝統的な家族のあり方」という美名のもとに正当化されがちな不平等の実態に、改めて向き合わざるを得ません。
個人的に興味深かったのは、高学歴女性の結婚と出産に関する国際比較です。社会規範が弱い国(北欧など)では高学歴女性ほど結婚して子どもを産む傾向がある一方、日本や韓国など規範が強い国ではその逆の傾向が見られるという知見は、「女性の社会進出が少子化を加速させる」という単純な図式が誤りであることを示しています。むしろ、女性が仕事と家庭を両立できる社会環境こそが、出生率の維持・向上につながる可能性を示唆しており、政策立案上も重要な視点だと感じました。
牧野氏の冷静かつ客観的な筆致は、しばしば感情的な対立に陥りがちなジェンダー議論において、極めて貴重な貢献です。データと厳密な因果推論に基づいた分析は、イデオロギー的な論争を超えて、「何が事実なのか」という共通理解の基盤を提供してくれます。こうした科学的アプローチこそが、建設的な対話と実効性のある解決策につながると感じました。
一方で、本書を読んで感じた課題もあります。例えば、実証研究の知見をいかに一般の人々に伝え、社会規範や個人の意識変革につなげていくかという点です。データや論理的分析だけでは人の行動や意識は変わりにくく、感情や共感を通じた働きかけも重要でしょう。また、制度改革と意識改革をどのようにバランスよく進めていくか、短期的な成果と長期的な変革をどう両立させるかといった点も、今後の検討課題と感じました。
総じて、本書は単なるジェンダー論の入門書を超えた、実証的知見に基づく社会変革の指南書とも言えるでしょう。感情論や印象論ではなく、「証拠に基づいた議論」の重要性と可能性を示した点において、現代社会に大きな貢献をしていると評価できます。
まとめ
『ジェンダー格差-実証経済学は何を語るか』は、現代社会における重要課題であるジェンダー格差の実態とその解消に向けた道筋を、実証経済学の厳密な手法で解き明かした意欲作です。牧野百恵氏の冷静かつ客観的な分析は、感情的な対立に陥りがちなジェンダー議論に、「証拠に基づいた理解」という新たな視点をもたらしています。
本書を通じて明らかになったのは、ジェンダー格差の多くが生物学的な性差ではなく、社会や文化によって形成された「思い込み」や「社会規範」に起因するという事実です。「女性は数学が苦手」「男性は育児に向いていない」といった固定観念が、自己実現的に格差を生み出し、固定化していく構造が、様々な実証研究によって示されています。
特に日本社会の現状を国際比較の視点から見ると、家事・育児分担における極端な不均衡、女性の政治参画の低さ、長時間労働文化による両立支援の難しさなど、解決すべき課題が山積していることが浮き彫りになります。これらの課題は個人の努力だけで解決できるものではなく、社会制度の改革と人々の意識変革の両面からアプローチする必要があるでしょう。
本書の知見を活かすための実践として、以下のポイントが特に重要です:
- 自己のバイアスの認識と修正:私たち一人ひとりが持つ無意識の思い込みやステレオタイプに気づき、それを意識的に修正していくこと
- 教育現場でのジェンダー平等の促進:子どもたちの可能性を性別で制限せず、多様な選択肢と経験を提供する教育環境の整備
- 職場でのジェンダー格差解消:採用・評価・昇進におけるバイアスの排除、柔軟な働き方の導入、育児支援制度の効果的な設計
- 家庭内での役割分担の見直し:家事・育児の「見える化」と公平な分担、対等なパートナーシップの構築
- 社会変革のための政策と市民活動:クォータ制の検討、男性の育児参加促進策、社会規範の変革に向けた啓発活動
ジェンダー格差の解消は、単に「公平さ」や「権利」の問題だけでなく、社会全体の持続可能性と経済的繁栄にも直結する重要課題です。女性の潜在能力が十分に発揮されない社会は、貴重な人材資源を無駄にしていることになります。また、男性もまた固定的な性別役割にとらわれ、育児や家庭生活の喜びを十分に享受できていない側面があります。
本書が示す通り、ジェンダー格差の解消には、法律や制度の整備だけでなく、「男性はこうあるべき、女性はこうあるべき」といった人々の根深い思い込みや社会規範を変えていくことが不可欠です。規範の変化には時間がかかるものの、私たち一人ひとりがこの問題を自分事として捉え、日常生活の中で小さな変化を積み重ねていくことで、社会は確実に変わっていくでしょう。
最後に、本書の最大の意義は、「証拠に基づいた議論」の可能性を示した点にあります。感情論や印象論ではなく、データと科学的分析に基づいた冷静な対話こそが、ジェンダー問題をはじめとする複雑な社会課題の解決への道を開くのです。実証経済学の知見を踏まえ、未来世代のためにより公平で多様性に満ちた社会を築いていくために、私たち一人ひとりができることから始めていきましょう。
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