著者と出版社
著者: スチュアート・リッチー
出版社: ダイヤモンド社
スチュアート・リッチーは、科学の世界で長年研究活動を続ける心理学者です。本書『Science Fictions あなたが知らない科学の真実』では、純粋に真理を追究するはずの科学が、なぜ様々なバイアスや不正によって歪められてしまうのか、そのメカニズムを詳細に解き明かしています。ダイヤモンド社から刊行され、日本国内においても多くの読者の注目を集めています。
内容紹介
『Science Fictions』は、科学の世界に潜む構造的な問題や誤りを浮き彫りにした一冊です。著者スチュアート・リッチーは、科学が決して完璧なものではなく、人間のバイアスや競争によって容易に歪められてしまうことを指摘します。データの捏造や改ざん、再現性の危機、バイアス、過度な誇張など、科学の信頼を揺るがす事例を具体的に示しながら、こうした問題が医療や社会政策、経済、環境など多方面に深刻な影響を与えてきたことを警鐘として鳴らしています。
また、著者は科学における不正や失敗が生まれる背景として、学問的純粋さと同時に求められる「キャリア」「名声」「研究資金」「競争」といった要素に光を当てます。科学者もまた人間であり、社会的な成功や評価を得ることに強いインセンティブが働く。その結果、無意識的にでもデータを「良く見えるように」解釈したり、時に意図的に捏造してしまったりするのです。本書は、このような問題がどのようにして起き、なぜ長年にわたって看過されてきたのかを、事例を交えつつ解説しています。
科学が抱える4つの主要な誤り
データの捏造・改ざん
Fabrication & Falsificationが代表的な問題として挙げられます。データの捏造は、実験結果そのものを虚偽に仕立て上げる悪質な行為であり、過去には心理学者のステイプルによる大規模スキャンダルが学界を震撼させました。医学の分野においては、捏造が患者の健康被害に直結するため、論文不正の重大さはさらに深刻なものとなります。
再現性の危機
心理学や医学において深刻化しているThe Replication Crisis。同じ実験手法を用いても同じ結果が得られない研究が非常に多く、心理学では60%以上の実験が再現されなかったと報告されています。こうした問題は製薬業界でも顕著で、企業が「画期的な治療法」として打ち出した研究が後に再現できず、撤回されるケースも少なくありません。
バイアス(Bias)
人間は無意識のうちに、自分の仮説に有利なデータだけを収集・選択してしまいがちです。さらに「出版バイアス」や「ファイルドロワー効果」がこの傾向を助長し、ポジティブな結果ばかりが論文として世に出回る一方、ネガティブまたは失敗した結果は共有されにくい構造を生み出します。これが科学的なバランスを崩し、「実際には再現されない結果」ばかりが目立つ原因となっているのです。
誇張・過大評価(Exaggeration & Hype)
メディアの報道や学者自身のPRによって、研究成果が本来以上にセンセーショナルに取り上げられることがあります。例えばワクチンと自閉症の関連を示唆したウェイクフィールドの論文は、後に捏造と判明したにもかかわらず、世界規模でワクチン忌避運動を招きました。こうした誤情報が拡散されると、人々の健康や政策決定に深刻な影響を与えかねません。
科学を歪める構造的背景
著者は、科学がこれらの問題を抱える背景として「Publish or Perish(論文を出さなければ生き残れない)」という競争原理を挙げています。限られた研究資金を獲得し、キャリアアップを目指すためには、多くの論文を発表して目立つ必要がある。すると、データの捏造や誇張、バイアスをかけた分析が行われやすくなるのです。
また、査読制度そのものにも限界があり、査読者自身が偏見を持っていたり、短い時間で大量の論文をチェックせざるを得ず、誤りを見落とすケースも多々あります。さらに、企業のスポンサーから資金を得ている研究は、スポンサーに都合の良い結果を示すよう圧力を受けることが少なくありません。喫煙の健康リスクを隠蔽しようとしたタバコ産業や、製薬企業が不都合な結果を公表しないケースなどは、まさに利益のために科学が歪められる象徴的な例です。
具体的な事例とその影響
過去に大きく報道された「心理学の再現性危機」では、著名な論文の半数以上が同じ結果を再現できなかったことがわかり、学界に大きな衝撃を与えました。また、抗うつ薬プロザックの臨床試験では、企業によるネガティブデータの隠蔽が発覚し、多くの患者が本来必要のない薬を処方された可能性が指摘されています。
こうした不正やバイアスが放置されれば、科学への信頼は失墜し、その結果として医療や政策、経済、環境保全など、社会のさまざまな分野に深刻な悪影響をもたらすことになります。
所感
本書を読んで痛感するのは、「科学もまた人間が作り上げるシステムであり、完全なものではない」という事実です。一方で、私たちはつい「科学が言うことなら間違いない」という暗黙の信頼を寄せがちです。しかし著者のリッチーは、数多くの事例を引き合いに出しながら、科学的な研究がいかに歪められやすいかを冷静に解説します。
ここで注目すべきなのは、科学者自身も「研究を成功させたい」「注目を浴びたい」「資金を確保したい」といった人間的な欲求を持ち、それが悪い形で作用すると、データの捏造や偏った解釈、誇張へと結びつくリスクがあるということです。また、こうした傾向は必ずしも意図的ではなく、無意識的なバイアスによって生まれることもあると考えられます。
同時に、科学界全体が「失敗やネガティブな結果を積極的に発表しにくい」構造を持つことで、さらに問題が深刻化しています。すなわち、失敗した研究や再現性のない研究結果は、ファイルドロワー(机の引き出し)に眠り、日の目を見ないまま闇に葬られてしまうのです。
だからといって、本書は「科学など信用できない」と断じるわけではありません。むしろ、科学がバイアスや不正によって歪められてしまう構造を暴くことで、真に信頼できる科学を再構築するための道筋を示しています。私たち読者にとっても、科学の情報を鵜呑みにするのではなく、その背後にある「研究デザインや資金、研究者の立場」を考慮しながら批判的に読み解く力が求められると痛感しました。
さらに、本書は「いかに科学が崇高な理念を持つものであっても、人間社会に組み込まれた瞬間に様々な欲望や競争原理にさらされる」という事実を教えてくれます。科学者の善意だけではシステムの欠陥を修正しきれないからこそ、私たち全員がこの現実を認識し、よりオープンで検証可能な仕組みづくりに関わる必要があると感じます。
まとめ
- 『Science Fictions』は、科学が抱える不正やバイアス、誇張、再現性の欠如といった問題を具体例とともに解説し、その背景にある構造的欠陥を浮き彫りにする。
- 科学者が競争にさらされ、キャリアや研究資金を得るためにデータを捏造・改ざんしたり、結果を誇張したりするインセンティブが存在する。
- 心理学や医学をはじめとする多くの分野で「再現性の危機」が深刻化しており、著名な研究でさえ再現されないケースが相次いでいる。
- ワクチン忌避運動や製薬業界の不正など、科学の歪みは社会に直接的な悪影響を及ぼす。
- 著者のリッチーは、オープンサイエンスやデータの透明性、登録試験などの制度改革を提案し、科学の信頼を取り戻す具体的な手がかりを示す。
- 私たち読者も、「科学は人間の営みであり、バイアスや不正から完全に自由ではない」ことを理解し、情報を批判的に吟味する態度を養うことが重要だと感じさせられる。
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