全裸監督: ―村西とおる伝―【バブル狂乱期を駆け抜けた破天荒な男の生き様】

BOOK

著者・出版社情報

著者:本橋 信宏(もとはし のぶひろ)

1970年生まれのノンフィクション作家。「庶民史」を丹念に掘り起こすスタイルで知られる。市井の人々の歴史を「私小説的手法」で描く独自のアプローチを持ち、長年にわたる取材と緻密な裏付け調査を特徴とする。村西とおるとは数十年来の付き合いがあり、村西の自伝『ナイスですね』のゴーストライターを務めた経験も持つ。本書の執筆には実に20年もの歳月をかけたという。

出版社:新潮社(文庫版は新潮文庫、原版は太田出版から刊行)

発行年:初版2016年、文庫版2019年(Netflix版ドラマ『全裸監督』の放映に合わせて文庫化)

ページ数:800ページ超(文庫版)

価格:本体1,300円+税

概要

本書は、自らを「AVの帝王」と称した村西とおる(本名・草野博美)の波乱に満ちた半生を綴ったノンフィクション作品だ。福島県いわき市出身の村西は、工業高校卒業後の1967年に上京。池袋のバーテンダーなどを経て、英語教材や百科事典のセールスマンとして頭角を現す。彼が独自に編み出した「応酬話法」と呼ばれる話術は、相手の反論をことごとく言い包め、最終的に「ノー」と言わせない強力な武器となった。

セールスで成功を収めた村西は、札幌で英会話学校を設立。さらにインベーダーゲームブームに乗じてゲーム機リース事業を展開し、北海道で大きな成功を収める。その後、成人向け出版物「ビニ本」の販売チェーン「北大神田書店」を全国展開し、「ビニ本の帝王」とまで呼ばれるようになる。しかし1984年、無修正ポルノ雑誌「裏本」の制作・販売により猥褻図画販売容疑で逮捕され、財産を失う。

保釈後、村西は急速に普及し始めていた家庭用ビデオデッキとアダルトビデオ市場に活路を見出し、「村西とおる」の名でAV監督としてのキャリアをスタートさせる。彼の特徴は、白いブリーフ一丁という奇抜なスタイルで自らカメラを担ぎ、監督兼男優として出演したこと。そして当時の日本では擬似的な性行為描写が主流だった中、実際の性行為を撮影する「本番」路線を打ち出したことだった。

1986年、現役の国立大学女子大生・黒木香が出演した『SMぽいの好き』は社会現象となり、村西を「AVの帝王」へと押し上げた。制作会社「ダイヤモンド映像」を設立し、年商100億円とも言われる帝国を築き上げ、80年代後半から90年代初頭にかけてAV業界の頂点に君臨する。

しかし、衛星放送事業への野心的な進出や放漫経営、バブル崩壊の波を受け、会社は倒産。村西は50億円とも言われる借金を抱えることとなる。その後も執筆活動や講演、時折のAV監督業を続け、「前科7犯、借金50億」という自らの失敗を「売り」にしてしまう稀有な人物として活動を続けた。

本書は、村西の破天荒な生き様を通して、日本のAV産業の変遷バブル経済という時代の熱狂と崩壊を描いた重層的な社会史でもある。2019年にはNetflixでドラマ化され、山田孝之主演で世界的にも注目を集めた。

活用法

時代の空気感を体感する歴史書として

本書は、単なる一人の風変わりな男の伝記ではなく、1980年代から90年代初頭の日本社会を描いた貴重な歴史資料としての価値がある。バブル経済がもたらした未曾有の好景気と、それに伴う社会全体の高揚感、そして時に無謀とも言える楽観主義が、村西の事業の急拡大と劇的な破綻にどう影響したかを読み解くことで、当時の日本社会の特質が浮かび上がってくる。

例えば、村西の「空からスケベが降ってくる」という言葉で表現された衛星放送への野心は、バブル期の過剰なまでの楽観主義と際限のない拡大欲求を象徴している。こうした無謀とも思える挑戦が次々と成功していった時代の熱気を、本書からは生々しく感じ取ることができる。

また、村西のビニ本からAVへの転身は、メディア技術の進化と深く結びついている。VHSの普及によって、それまで映画館や特定の場所でしかアクセスできなかったポルノコンテンツが個人の空間へと解放されるという、メディア革命の一側面を体現している。「新しいメディアはエロから始まる」という格言が、村西のキャリアによって証明されているのだ。

本書を90年代以降に生まれた若い世代が読むことで、教科書には載らない生々しい時代の空気感を体感できる。例えば、バブル期の「湯水のように金が動いた」状況や、「ワイルド・ウェスト(西部開拓時代)」の様相を呈していたAV業界の無法ぶりは、現代の規制が行き届いた社会環境では想像しづらい。こうした日本社会の「失われた狂騒」を、村西というフィルターを通して垣間見ることができるのだ。

ビジネス書としての読み方

村西とおるの半生は、成功と失敗のサイクルの連続であり、ビジネスパーソンにとって多くの教訓を含んでいる。特に以下の点は、現代においても示唆に富んでいる。

1. マーケット感覚の鋭さ
村西は常に時代の一歩先を行くビジネスセンスを持っていた。英語教材の需要拡大、インベーダーゲームブーム、ビニ本市場、そしてVHSの普及によるAV市場の拡大と、絶妙なタイミングで新たな分野に参入している。彼の直感的なマーケット感覚は、変化の激しい現代ビジネスにおいても有効な視点を提供してくれる。現在のビジネスパーソンも、既存市場の飽和を見越して次の一手を常に考えるという姿勢は学ぶべきだろう。

2. タブーに挑戦する革新性
村西の事業展開は常に「既存の常識を破壊する」というパターンを持っていた。百科事典という古典的な商品をより多く売るために独自の話法を編み出し、ポルノ業界でも「本番」というタブーに挑戦した。こうした「業界の常識を疑う」姿勢は、イノベーションの本質を考える上で参考になる。今日のディスラプション(創造的破壊)の概念に通じるものがあり、特にスタートアップ企業やベンチャーキャピタリストにとって、思考実験的な価値がある。

3. リスク管理の重要性
一方で、村西の失敗からも学ぶべきことは多い。彼の際限のない拡大志向リスク感覚の麻痺は、最終的に50億円という巨額の借金と事業の崩壊をもたらした。ハイリスク・ハイリターンの連続で成功体験を重ねたことで、リスクへの感覚が鈍り、衛星放送という巨大投資に踏み切ってしまった過程は、事業拡大期におけるリスク管理の重要性を教えてくれる。現代の経営者が陥りがちな「成功体験のわな」を避ける教訓として、この事例は検討に値する。

4. 強力なブランディング戦略
村西は自らを「AVの帝王」と位置づけ、白いブリーフ一丁で現場に立つという独特のスタイルを確立した。これは現代でいうパーソナルブランディングの先駆的事例と言える。彼の「ナイスですねぇ」というキャッチフレーズは、彼の代名詞として広く浸透した。さらに注目すべきは、50億円の借金と前科7犯という失敗さえも「売り」に変えてしまう逆転の発想だ。成功だけでなく失敗をも武器にする彼の生存戦略は、危機管理やレピュテーション(評判)マネジメントの観点から検討する価値がある。

5. 人材発掘・育成の才能
村西が黒木香をはじめとする数々の才能を発掘・育成した手法にも注目すべきだ。彼は単に外見だけでなく、その人物の持つ独自の魅力や個性を見抜き、最大限に引き出す力を持っていた。特に黒木香の「理知的な女子大生」というイメージは、当時のAV業界の常識を覆す斬新なキャスティングだった。この「意外性を武器にする」という発想は、現代のマーケティングや人材育成にも応用できる考え方だ。

コミュニケーション術を学ぶテキストとして

村西の最大の武器は、「応酬話法」と呼ばれるコミュニケーション技術だった。これは、相手の反論や疑問に対し、巧みな理屈(時に屁理屈とも評される)を無限に繰り出して言い包め、最終的に「ノー」と言わせない話術である。この特異なコミュニケーション能力は、以下のような現代のビジネスシーンでも応用可能だ。

1. 営業・交渉術
村西は月に4セット売ればトップとされる英英百科事典を、毎月数十セット、時には週に20セットも売り上げる「伝説のセールスマン」だった。彼の営業手法の核心は、相手の言い分を全て受け入れた上で、独自の論理で再構築する能力にあった。この「イエス・アンド」のテクニックは、現代の交渉術やコーチングにも取り入れられており、顧客の抵抗感を減らしながら説得する方法として活用できる。

2. 危機管理コミュニケーション
村西は度重なる逮捕や借金、社会的非難にもかかわらず、常に自分の言葉で状況を再定義することで生き延びてきた。例えば、「前科7犯、借金50億」という通常なら致命的なネガティブ要素を、むしろアピールポイントに転換してしまう逆転の発想は、現代のクライシスコミュニケーション(危機管理広報)にも応用できる視点を含んでいる。「最悪の状況をどう語るか」という問題に対するユニークなアプローチとして参考になるだろう。

3. 説得のフレーミング
村西の「応酬話法」の本質は、同じ事実を異なる文脈に置き直す能力にあった。例えば、「お金がない」という顧客の反論に対して、「だからこそ将来のために投資すべき」と枠組み(フレーム)を変えて説得する手法だ。このリフレーミングの技術は、現代のビジネスコミュニケーションにおいても強力なツールとなる。プレゼンテーションや企画提案の場面で、聴衆の抵抗感を減らし、自分の意図した文脈で物事を捉えてもらうために応用できるだろう。

本書を通じて村西の話術を分析し、その強みと弱みを客観的に評価することで、自分自身のコミュニケーションスタイルを見直すきっかけになる。ただし、村西の手法は時に倫理的な問題をはらんでいる点には注意が必要だ。現代のビジネスパーソンとしては、彼の技術的側面を学びつつも、倫理的な判断力を持って適切に応用することが求められる。

社会学・メディア研究の一次資料として

本書は、日本の成人向けエンターテイメント産業が、アンダーグラウンドな「ビニ本」「裏本」の時代から、VHSの普及とともにAVが一大産業へと変貌を遂げる激動期を克明に記録している。この観点から、以下のような学術的活用が考えられる。

1. メディア技術と社会変容の研究
村西のキャリアは、新しいメディア技術の登場が社会や文化にどのような影響を与えるかを考察する上で格好の事例を提供している。ビニ本からビデオ、そして衛星放送への彼の関与は、メディアの進化と消費行動の変化を象徴している。特に、プライベート空間でのメディア消費という現象がどのように生まれ、社会規範や法規制との緊張関係を生み出したかを探る上で、本書は一次資料としての価値を持つ。メディア研究者や社会学者が、現代のデジタルメディア革命を歴史的視点から相対化するための比較事例として参照できるだろう。

2. 法と倫理のグレーゾーン研究
村西の活動は常に法的・倫理的境界線上にあった。特に猥褻図画販売容疑での度重なる逮捕や、ハワイでFBIに逮捕された国際的事件は、表現の自由と公序良俗の間の緊張関係を浮き彫りにしている。法学研究者やメディア倫理の専門家にとって、こうした境界線がどのように交渉され、時に越境されるかを研究する事例として活用できる。現代のインターネット空間における表現規制の問題を考える際の歴史的参照点ともなり得るだろう。

3. ジェンダー・セクシュアリティ研究
村西の活動と作品は、1980年代から90年代の日本における性の商品化ジェンダー表象を考察する上で重要な素材を提供している。特に黒木香という「知的な女子大生」の登場が社会現象となった背景には、当時の日本社会におけるジェンダー規範や性意識が反映されている。フェミニスト研究者や文化研究者にとって、AVという文化的テクストが持つ社会的意味を分析する際の重要な事例として参照できるだろう。

4. バブル経済の文化研究
村西の成功と挫折は、バブル経済という特異な時代の文化的側面を映し出す鏡でもある。「年商100億円」「高級外車」「派手な生活」といったバブル期の象徴的な文化現象が、AVという一見マージナルな領域にも浸透していた様子は、バブル文化の全体像を把握する上で貴重な証言となる。経済史研究者や文化史研究者が、バブル期の社会心理や消費文化を研究する際の補完的資料として活用できるだろう。

自己啓発・人生哲学のインスピレーションとして

多くの読者が本書から「元気が出る」「勇気をもらえる」という感想を抱くのは、村西の破天荒な生き方の中に、ある種の生きる哲学を見出すからだろう。そうした観点から、本書は以下のように活用できる。

1. 逆境からの再起の知恵
村西は数々の挫折や失敗、そして社会的制裁を経験しながらも、決して諦めない強靭な精神力を持っていた。「人生、死んでしまいたいときには下を見ろ! おれがいる」という彼の言葉は、どん底から這い上がる力を与えてくれる。特に挫折や失敗を経験している人にとって、村西の不屈の生き様はレジリエンス(精神的回復力)を高めるインスピレーションとなるだろう。

2. 常識にとらわれない創造性
村西の生き方の核心は、社会的な常識や既成概念を疑い、自分なりの道を切り開く姿勢にある。百科事典セールスからAV監督という異色の経歴も、常に「なぜそうでなければならないのか」と問い続けた結果だ。この思考法は、人生の岐路に立ったときや、キャリアの変更を考えている人にとって、新たな可能性を見出すヒントになるかもしれない。

3. 自分の物語を書き換える力
村西の最も驚くべき能力は、自分自身のナラティブ(物語)を書き換える力だろう。「前科7犯、借金50億」という明らかな「失敗」を、むしろ自分の個性やブランドとして活用する姿勢は、私たちが自分の過去や弱点をどう捉え直すかについて示唆を与えてくれる。自分史を否定的にではなく、成長の糧として語り直す技術は、現代の自己啓発やメンタルヘルスの分野でも重視されている考え方だ。

4. バランスの取れた評価の重要性
ただし、村西の生き方を称賛する一方で、彼の行動がもたらした負の側面――法的・倫理的問題、他者への影響、社会的コスト――にも目を向けることが重要だ。本書を通して村西の人生を多角的に検討することで、成功と幸福の本質、そして社会における個人の責任について深く考えるきっかけになるだろう。

ドラマ「全裸監督」との比較研究

2019年にNetflixで配信されたドラマ『全裸監督』(山田孝之主演)は、本書を原作として大きな話題となった。しかし、ドラマと原作の間には数多くの相違点があり、両者を比較することで、事実と創作の関係やメディア表現における倫理的判断について考察するきっかけとなる。

1. 脚色の意味を考える
ドラマ版は、村西のセールスマン時代や黒木香のキャラクターなど、多くの点で原作を「大幅に脚色」している。例えば、ドラマでは村西は当初うだつの上がらないセールスマンとして描かれるが、原作では早くからコミュニケーション能力を持っていたとされる。こうした改変の背景には、より分かりやすい「成り上がり物語」を構築する意図や、現代の視聴者に受け入れられやすくするための配慮があったと考えられる。脚色の具体例を原作と照らし合わせることで、エンターテイメントとしてのドラマ制作における創作上の判断や、ストーリーテリングの技術を学ぶことができる。

2. 描写の「浄化」を検討する
ドラマ版は、村西の暴力的な側面(スタッフへの暴力、DVの疑惑)や、業界の搾取的な側面については、原作に比べて描写を抑制している傾向がある。この「浄化」は、主人公をより共感しやすいアンチヒーローとして描き、物語の娯楽性を高めるための選択だったと考えられる。しかし同時に、歴史的事実の一部が省略されるというトレードオフも生じている。この点を意識して比較することで、メディア表現における事実の重み娯楽性のバランスについて考えるきっかけとなるだろう。

3. 視覚表現の力を認識する
ドラマ版は、山田孝之をはじめとする俳優陣の力強い演技と、80年代の雰囲気を巧みに再現した美術や音楽によって、原作の世界観を視覚的に具現化することに成功している。多くの視聴者にとって、ドラマで描かれた村西像が「リアル」なものとして記憶される可能性が高い。この現象は、視覚メディアの影響力イメージの定着力について考える機会を提供してくれる。原作とドラマを併読・併視することで、異なるメディアがどのように同じ題材を表現し、それぞれどのような強みと弱みを持つかについての洞察を得られるだろう。

4. メディア倫理を議論する
ドラマ化に際して黒木香のキャラクター(ドラマでは「佐原恵美」という架空の名前で登場)の描写方法や、実在の人物の描き方をめぐっての議論は、メディア倫理表現の自由について考えるきっかけになる。特に「忘れられる権利」や、実在の人物をフィクションで描く際の配慮など、現代のメディアリテラシーにおいて重要なテーマを取り上げる際の具体的事例として活用できるだろう。

所感

本橋信宏の『全裸監督: ―村西とおる伝―』を読み終えて最も強く印象に残るのは、その圧倒的な情報量時代の息遣いを伝える生々しさだ。800ページを超える文庫版は一見取っつきにくいボリュームだが、一度読み始めると、まるで奔流に身を任せるように引き込まれていく。

村西とおるという人物の魅力と同時に、彼を20年にわたって追い続けた著者・本橋信宏の執念にも驚かされる。この「執念深さ」とも評される徹底した取材姿勢によって、単なるゴシップや伝説ではなく、歴史的な文脈の中に村西という人物を位置づけることに成功している。著者と村西の間には数十年来の付き合いがあり、近い距離から観察しながらも、ジャーナリストとしての客観性を失わない絶妙なバランス感覚が本書の大きな魅力だ。

村西という人物を通して見えてくるのは、バブル経済という時代の光と影だ。湯水のように金が動き、時に無謀とも思える挑戦が次々と成功していった熱狂の時代。そして、その反動としての急激な崩壊。村西の人生は、まさにバブルとその崩壊を体現していると言えるだろう。「AVの帝王」から50億円の借金を背負う転落まで、その極端な浮き沈みは、バブル期日本の縮図でもある。

同時に、村西の生き様からは、強靭な生命力不屈の精神も感じられる。彼の「人生、死んでしまいたいときには下を見ろ! おれがいる」という言葉には、どん底から這い上がる力強さがある。失敗をも「売り」に変えてしまう逆転の発想は、現代の成功至上主義社会に生きる私たちにとって、ある種の救いでもあるのだろう。

ただし、本書はあくまでノンフィクションとして村西の生き方を描くものであり、彼の行動を全面的に肯定するものではない。常に法的・倫理的な境界線上で活動し、時にそれを踏み越えた彼の生き方は、現代の価値観からすれば多くの問題を含んでいることも事実だ。本書の価値は、そうした賛否両論を含む複雑な全体像を、可能な限り客観的に描き出している点にある。

Netflixドラマ版を先に見た人が原作に触れると、事実と創作の違いに驚くかもしれない。ドラマによって「浄化」された村西像ではなく、より多面的で複雑な実像に触れることで、メディア表現における「脚色」の意味や、エンターテイメントと歴史的事実の関係について考えさせられる。

結局のところ、村西とおるという人物は、徹底的に「自分らしく」生きた人間だったのではないだろうか。社会的な成功や評価よりも、自分の欲望や好奇心に忠実に生きた彼の姿勢は、現代の同調圧力の強い社会において、ある種の反面教師としての役割も果たすように思える。彼のすべてを肯定することはできなくとも、その生き様から学べることは決して少なくない。

まとめ

本橋信宏の『全裸監督: ―村西とおる伝―』は、「AVの帝王」村西とおるの激動の半生を通して、1980〜90年代の日本社会とバブル経済の実相に迫った稀有なノンフィクション作品だ。セールスの伝説から始まり、ビニ本の帝王を経て、AV業界の頂点に君臨するまでの急激な成功と、バブル崩壊後の転落を克明に記録している。

本書の大きな特徴は、その圧倒的な情報量20年にわたる取材の深さにある。時に「詳細すぎて長い」と指摘されることもあるが、その緻密さが逆に読者を当時の空気感へと没入させる効果を生んでいる。村西という常識では測れない人物像を、単なるゴシップや伝説ではなく、歴史的・社会的文脈の中に位置づけた著者の功績は大きい。

本書は様々な読み方ができる。バブル期の社会史として、ビジネス書として、コミュニケーション術のテキストとして、社会学・メディア研究の一次資料として、自己啓発・人生哲学のインスピレーションとして、あるいはNetflixドラマとの比較研究の対象として。多面的なアプローチが可能なのは、村西とおるという人物自体が持つ多層性の表れだろう。

現代社会において、本書が投げかける問いは少なくない。成功と失敗の境界線法と倫理のグレーゾーン個人の欲望と社会的責任メディア技術の進化と文化の変容――こうしたテーマについて考えるための具体的な事例として、本書は読み継がれる価値がある。

最後に、この「前科7犯、借金50億」を背負った男が放つ不思議な魅力は、現代の「分断」が進む社会においても、ある種の共感を呼び起こす。完璧に正しく生きることの難しさと、それでも生きていくことの力強さを、村西は体現しているのかもしれない。百人が読めば百通りの感想が生まれるだろうが、この破天荒な男の生き様に、何らかの形で心を動かされることは間違いないだろう。本書は、そんな村西とおるという人物と、彼が駆け抜けた時代の熱気と混沌を、これからも伝え続ける貴重な記録であり続けるだろう。

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プロフィール
あつお

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