著者・出版社情報
著者:池上 彰, 佐藤 優
出版社:講談社
概要
本書『漂流 日本左翼史 理想なき左派の混迷 1972-2022』は、ジャーナリストとして圧倒的な知名度を誇る池上彰氏と、作家・元外交官として知的分析で知られる佐藤優氏という二人がタッグを組み、日本の左翼運動が1972年から2022年までの約50年間でいかに変遷し、そして混迷・衰退していったかを俯瞰的にまとめた一冊です。
「あさま山荘事件」以降、日本社会のなかで左翼という存在は段階的にイメージを悪化させ、特に学生運動や労働運動などでの過激な手法が世間の反感を買い、その後の「組織の分裂」や「理想の喪失」を経て活力を失っていった様子が、本書では豊富な資料・証言・実例をもとに描かれています。
ソ連の崩壊や冷戦構造の終結など、世界情勢の大きな転換期も交錯するなかで、日本の左翼はなぜ理想を見失い、どうして国民から支持されなくなってしまったのか。本書はその答えと、現在の政治や社会運動における左翼の姿から、日本の未来を考えるヒントを提示しています。
活用法
日本現代史の再認識として、1970年代以降の左翼運動を体系的に捉える
まず本書の大きな魅力は、「1972年から2022年まで」という約半世紀にわたる期間を区切って、日本の左翼史を整理している点にあります。特に1972年というのはあさま山荘事件が起こった年で、この事件が世間に与えた衝撃は甚大でした。それまで学生運動や新左翼へのシンパシーを持っていた人々も、一連の暴力行為や内ゲバを目の当たりにして反感を覚え、左翼運動が「危険で分裂的な集団」というイメージを強めたターニングポイントでした。
この書籍を通読することで、以下のような歴史的な流れを一望できます。
- 1970年代前半:あさま山荘事件以降、新左翼の衰退が加速し、日本共産党内部でも「新日和見主義事件」など内ゲバや路線対立が激化
- 1970年代後半~1980年代:労働運動が一時的に盛り上がる一方で、社会党の求心力は低下。国鉄解体の流れや、自治体の革新首長ブームの盛衰
- 1980年代末~1990年代初頭:ソ連崩壊や東欧革命を受けて世界的な左翼の退潮が起こり、日本でも社会党をはじめとする左派政党がアイデンティティを失う
- ポスト冷戦期:新社会党や社民党などの再編、あるいは環境運動や市民運動など、従来のマルクス主義とは異なる「新しい左翼」のかたちが模索される
こうした流れを踏まえると、当時の政治的空気や国民の感情がいかに左翼に対して距離を取り始めたのか、また左翼勢力自身がどう「内輪揉め」や「暴力事件」で信用を失っていったのかが、非常に具体的に理解できるでしょう。日本の現代史を再認識したい人や、政治の流れを深く理解したい学生にとっては、本書はよい入門書となります。
学生運動・労働運動・自治体革新首長など、多面的に左翼の動きを把握する教材として
日本の左翼史と一口に言っても、その実態は複雑で、学生運動から労働組合運動、さらに自治体政治での革新首長誕生など、多種多様な領域が存在します。本書はそれらを分割して整理し、なぜそれぞれが失速したのか、その原因を考察しています。たとえば:
- 学生運動:ベトナム反戦や大学闘争で一時的に熱狂したが、内ゲバや過激な暴力が続出し、一般市民からの支持を急速に失った
- 労働運動:国鉄労働組合のスト権ストや、組合の争いが国鉄民営化につながり、社会党や共産党の支持基盤が徐々に弱体化
- 自治体政治:一時期は東京・大阪などで社会党や共産党が支える革新首長が誕生し、独自の行政改革を行ったが、その後の経済構造変化や保守勢力の巻き返しで支持が後退
研究者や学生がこれらの動きを学ぶ際、従来は個々に資料を漁るしかなかった部分を、本書がまとめて提供しているため、大変効率がいいと言えます。政治史や社会運動論のセミナーや大学の授業の参考資料として活用するのも有意義でしょう。
現在の日本政治・社会の“源流”を探る、比較政治の観点から参考にする
現代の日本政治を取り巻く構造は、保守一強と言われながらも、時折左派的な要素が再燃する場面が出てきます。例えば経済的格差の拡大、ブラック企業問題、福祉の問題など、弱者救済や社会正義を標榜する運動が活発化する流れも少なからずありますが、なぜ既存の「左翼政党」はその受け皿になり得ないのか――この疑問を解く際に、本書で語られるような「左翼の歴史的失敗」が大きく影響していると考えられます。
つまり「左派=暴力的・過激で信用ならない」というイメージや、ソ連崩壊後にマルクス主義的な理想が一気に揺らいだ歴史背景が、今も有権者の潜在意識に根付いており、既存左翼政党が支持を拡大しづらい構図を生んでいるのです。
- 社会党→社民党の凋落:55年体制で一時期は有力野党だった社会党が、連立与党入りや党名変更などを経て求心力を失い、社民党として微弱勢力に
- 共産党の独自路線:新左翼との内ゲバやソ連との対立などで孤立しながらも、独自の勢力を維持。ただし大きく議席を伸ばせるわけでもない
- 新たな市民運動:脱原発やジェンダー問題などの市民運動が台頭するも、従来の左翼政党との関係が希薄
こうした現象を国際比較の文脈で見ると、欧米では労働党や社会民主党が主流政党として生き残るケースもありますが、日本ではその路線が上手く定着しなかった。その原因を知るためにも、本書が提供する左翼衰退の歴史は非常に示唆に富んでいると言えます。政治ジャーナリストや研究者、社会運動家も含め、現在の日本社会の源流を探るための教材として本書を活用できるでしょう。
市民運動や社会活動に携わる人が「失敗の歴史」から学ぶ
本書は「左翼が衰退していった歴史」ですから、取り上げられている題材の中には数多くの失敗例や誤った戦略が含まれています。学生運動が暴力へ傾斜したり、内ゲバで仲間を粛清したり、労組のストライキが社会の理解を得られず孤立したり…。しかしこれらは教訓の宝庫でもあります。
- 暴力に依存しない:運動が過激化すると、一般市民から恐怖や嫌悪を抱かれ、支持が得られない。現代の市民運動は平和的手段を徹底することで社会の共感を得やすい
- 内輪揉めの悪影響:路線対立を執拗に続ければ、メンバー間の信頼が崩壊し、運動自体が分裂する。協調や議論のルールを大事にする重要性が分かる
- 対話不足:組合や政党が「国民の支持が当然ある」と思い込み、十分な説明をせずにストや政治活動を強行すると、逆に反発を招く。不断のコミュニケーション努力が欠かせない
- 柔軟なイデオロギー対応:冷戦後の世界で、古典的マルクス主義だけでは現代の課題に対応しづらい。時代に合ったイシュー設定や新たな理論の取り入れが必要
こうした失敗の蓄積は、今の市民運動やNPO、あるいはローカルな政治活動などで同じ轍を踏まないための重要な反面教師です。「こうすれば支持を失う」という事例を学ぶだけでも、本書を手に取る価値があります。ダメな事例を見ることは、成功事例を見るのと同じくらい大きな学びになるはずです。
過去の左翼運動の“おごり”や“思い込み”を客観視し、理想と現実の橋渡しを考える
左翼運動は、人間の理想や正義を強く掲げるという面があり、そこには大きな魅力がある一方で、理想が過剰になると暴力や独善へと暴走する危険を伴います。本書で記される数々のエピソードは、しばしばこの「おごり」によって社会から見放されていったプロセスを如実に示しています。
それでも、社会に理不尽や格差が存在する以上、何らかの形で左翼的な思想や社会運動は今後も必要でしょう。本書の語る「左翼の失敗」は決して「左翼の否定」ではなく、むしろどうすれば理想を実現できるのかという問いを私たちに与えています。
例えば、公正な社会を実現したいという理想は共有しつつも、暴力的手段や極端な思想排除は避ける。また、国民の暮らしを改善する具体的なプランを用意し、一般人が共感しやすい言葉で発信する。こうした地道な努力を積み重ねられるか否かが、今後の左翼的運動の成否を分けると考えられます。
本書を読んで得られるのは、こうした理想と現実の板挟みをいかに知恵で乗り越えるかという大きな示唆だと言えます。政治的立場を問わず、一度は左翼運動の歴史をたどってみることは、日本社会の現在や今後を考える上で極めて重要でしょう。
所感
『漂流 日本左翼史 理想なき左派の混迷 1972-2022』を読んで感じるのは、「左翼はかつて大衆運動を牽引していた力があったのに、どうしてここまで影響力を失ってしまったのか?」という疑問に対する回答が、かなりリアルに描かれているという点です。
特に1972年の「あさま山荘事件」で、多くの日本人が過激派の内紛や暴力に辟易し、新左翼への支持をいっきに手放した瞬間から始まる本書のプロットは象徴的です。そこから労働運動や社会党の凋落、ソ連崩壊、国鉄民営化、革新首長ブームの終焉など、幾多の重大トピックが次々に登場し、それぞれの出来事の背後にある左翼陣営の混迷が詳細に解説されます。
逆に言えば、もし左翼側が過激な方法を取らず、組織内の紛争を回避し、国民に寄り添う形で改革を進められたらどうなっていただろう? そんな「もしも」を考えさせられます。社会党が大衆政党として成長し、政権交代が普通に起こる健全な二大政党制になっていたら、日本の政治は全く違う姿をしていたかもしれません。
とはいえ、過去の事実は変わらない以上、私たちはこれら失敗の歴史から何を学び取るかが肝要でしょう。理想の大切さを捨てる必要はないが、暴力や内ゲバという暴走を防ぐための仕組み作りと、国民の支持を失わないための柔軟な戦術を組み合わせねばならない――このような教訓が、現在の政治や社会運動にも確実に通じると思われます。
まとめ
『漂流 日本左翼史 理想なき左派の混迷 1972-2022』は、1972年の「あさま山荘事件」以降、約半世紀にわたり日本の左翼運動が衰退の道を辿っていく様子を克明に描き出した歴史的ドキュメントです。
- 新左翼の暴力性や内ゲバが世論の支持を喪失する大きなきっかけになった
- 労働運動が盛り上がる一方で社会党は内部抗争や路線対立により凋落し、国鉄民営化が労組の弱体化をさらに加速
- ソ連の崩壊や冷戦の終焉でマルクス主義的なイデオロギーが大きな打撃を受け、左翼政党はアイデンティティを喪失
- ポスト冷戦期には、市民運動やNPOが新しい形の左派ムーブメントを築きつつも、過去の失敗が大衆の潜在意識に残り、既存左翼は勢力を盛り返せない
本書の意義は、これらの事実を整理するだけでなく、左翼の行動がいかに「理想を追い求めながらも社会から乖離」していったか、そしてその動きが私たちの社会や政治にどんな影響を与えたかを考えさせる点にあります。さらに、今なお格差や環境問題など左派的テーマが重要になりうる現代において、左翼がかつて何を間違えたのか、その失敗から学ぶことは決して少なくありません。
政治や現代史を学びたい学生や研究者にとってはもちろん、一般のビジネスパーソンや社会活動家にも、過去の政治運動の成否を俯瞰するうえで、この本は大いに役立つでしょう。なぜ現在の日本は保守一強の政治構造が続くのか、その裏には「左翼が自ら失った信頼の歴史」があるのだ、と深く納得させてくれる本です。日本の未来を考えるにあたって、本書は一読の価値があるおすすめの一冊です。
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